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Brandnew Myself

この俺になにができる
いつも思ってた。
いったい誰なんだ。
俺を惑わす。
周りを見ては 自分を失い
いつも 探し 歩いていた。
走って 走って 探しもとめた
そこに何かまってるかな。
そこで何ができるのかな。
今何を見てるの?
光か 闇か
今はどこにいるの?
俺の内か 外か
周りばかりをみて
自分を見てなかった。
走って 走って たどりついた
ここが俺の場所だ。


この詩は友達が書いてくれました。友達はこの作品をクソだといいました。
さあどうでしょう。彼のためにもみんな本気で批評してください。
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by ecaep_dlrow | 2005-07-30 16:37 | 言葉

国際社会の形成と発展 NO.3

【ウェストファリア条約の概要】
三十年戦争が終わり、ウェストファリア条約が結ばれるにあたって正式の当事者としては神聖ローマ帝国皇帝、スウェーデン女王、フランス国王がいます(実はこの会議は2箇所で行われました。それはスウェーデン女王とフランス国王の上位争いがあったから2国の王は別々の土地で開かれた会議にそれぞれ参加しました)。その他に条約の作成に投票権を有するものとして参加した諸国王と帝国等族がいました。帝国等族とは聖職者や貴族のことです。
この当事者の顔ぶれから何がわかるのかというと、帝国を代表するような人ではない帝国等族などが参加したということで、神聖ローマ帝国の一体制がなくなり、帝国が死亡したということがわかるのです。

条約の宗教に関する規定としてカルバン派を認め、信仰の自由を黙認(明確にではないが)したことが特徴的です。これによってプロテスタントとカトリックの平等が認められたのです。実はこの規定にローマ法王は反対したのですが誰も聞かなかったとのことです。これにより法王の権力が名実ともになくなりました。

帝国等族に関する規定としては、帝国等族に「同盟権」・「同意権」を承認し、彼らの「領域権」を保障した点が特徴的です。同盟権とは諸外国と帝国等族で直接同盟を結ぶことができる権利です。同意権では帝国等族の事項的範囲の拡大がなされました。それまで皇帝専属の権利だった立法や法解釈に、また帝国による同盟条約の締結・宣戦・講和・徴兵など帝国の軍事に関するものに、帝国等族の同意が必要となったのです。領域権の保障とはそれまではある程度帝国等族が支配していた領域における自主性が保障されていたのですが、それよりも大きな権利を与えたということです。これは帝国等族が国家と言うものを目指す大きな役割を果たしました。

まとめると、ウェストファリア条約の役割としては、帝国等族の皇帝、帝国からの自立を促進し、ローマカトリック協会の力を背景に支配しようとしていた皇帝の野望を消し、帝国を絶対主義国家になり得なくしたということです。
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by ecaep_dlrow | 2005-07-29 15:36 | 授業

国際社会の形成と発展 NO.2

【近代国家の構成要素】
近代国家の構成要素としては、現代の国家の構成要素と同じです。1、領域 2、主権 3、国民 の3つです。実はこの3つはだいたいこの順番で習うのですが、この順番に意味があるの知ってました?まず一定の境界線で区切られている領域があり、そこに主権(対外的には独立していて、対内的には排他的な統制を行うことができること)があらわれます。その主権のもとで国民というものが形成されるということです。

これはテスト範囲とあんま関係ないけど、へ~って思ったから紹介してみました。
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by ecaep_dlrow | 2005-07-29 14:58 | 授業

国際社会の形成と発展

これが最後のテストの授業の名前です。
ブログで勉強したほうが頭に入るからまたやっちゃいます。

【国際法の起源】
現代国際法とは、主として主権国家間に適用される法のことです。
では現代国際法の起源は何なんでしょうか。
古代国際法や中世国際法は宗教的な性格が強く、中世においてはローマ法王や神聖ローマ皇帝の普遍的な権威の存在を認めてもいるほどでした。もう一つの特徴としては断片的な法規だったということが挙げられます。古代、中世国際法は国際社会を包括するものではなかったのです。ということで古代、中世国際法ともに現代国際法の起源とは言い切れません。

現代国際法は近代国際法の延長線上にあるものだと考えられます。なぜならば、近代国際法の特徴として、断片的ではなく主権国家間に適用されるようになり、また1つの法体系として考えられるようになったというものがあるからです。主権国家間に適用される法=現代国際法なので近代国際法は現代国際法の前身だと考えられます。ローマ法王と神聖ローマ皇帝の普遍的な権威を頂点とした中世の封建社会が崩壊し、その後に成立した主権国家並存というヨーロッパ国家系が近代国際法の起源と考えられています。ということは現代国際法の起源は主権国家並存という特徴をもつヨーロッパ国家系だということができます。
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by ecaep_dlrow | 2005-07-29 14:49 | 授業

平和論 No.7

これが最後!!
フーコーの権力論について

フーコー権力論として誰のものでもなく誰も意図せずに誰にも見えない権力がある。それに「規律権力」というものがある。フーコーはある決まった行動・思考・様式を次第に強制されずに身体化(内面化)させられるような権力作用が存在することを示した。その例としてベンサムが考えたパノプティコンがある。パノプティコンとは円環状牢屋のことである。その建物の真中に監視人の部屋があり、そこからは囚人みんなを見渡すことができる。しかし囚人からは監視人の姿は見えない。ということはいつ見られているかわからないのでいつも規律に従わなければならなくなる。そこで規律の内面化が起きるのである。目に見えない権力者の作用が働き、自分で規律、自ら行動規律に従うようになる。この際、被支配者からは権力者が見えないので、権力者がいてもいなくてもよくなる。または権力主体の特定が不可能だとも言えるだろう。

これに対する批判として、やはり特定の権力者、責任者は必要だというものがある。


自分の意見は時間がないことに気づいたので今日はやめときます。平和論シリーズはもう終わりです。これはテスト範囲の半分もいってないからまだまだシリーズ続けてほしい人はゆってくださいねw

じゃあ今からプリント見るだけの勉強に切り替えます。大学初のピンチでごわす。
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by ecaep_dlrow | 2005-07-28 15:43 | 授業

平和論 NO.6

続きましてはルークスの権力概念の分類について。

ルークスは権力概念を3つに分類した。一次元的権力観、二次元的権力観、三次元的権力観の3つである。一次元的権力観とは誰でも明確に権力者と被支配者を認識できるもの。それにエリート理論というものがあり、権力はエリート(エリート理論も3つに分類されています。それはまた後ほど)が持っているとした。二次元的権力観としては争点がアジェンダ〈議事事項)にあがる前に権力者がそれを健在化させず、握りつぶしてしまって権力行使の存在が決定回避されてしまうもの。三次元的権力観とは権力者は認識できるのだが、被支配者が認識されないものである。例えば、権力者が被支配者をマスメディアや教育などにより洗脳することにより、被支配者をの対立をなくしてしまい、認識できなくしてしまうもの。

エリート理論とは
エリート理論で誰が権力を持っているかを明らかにしている。3つに分類され、多元的エリート論、支配エリート論、権力エリート論の3つに分かれる。多元的エリート論とは問題ごとにエリートがいるということである。例えば、郵政民営化にはその権力者がいて、憲法改定にはその権力者がいるという状態である。支配エリート論とは1つの集団が権力をもっている状態。市議会議員や府議会議員のことである。権力エリート論は支配エリート論が全国に広がったものである。

正直僕はエリート理論を全く理解してません。すんません。
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by ecaep_dlrow | 2005-07-28 15:26 | 授業

平和論 NO.5

今度は「権力」についてです。
マキャベリ、ホッブズ、ヴェーバーの権力概念を比較して論じます。

マキャベリは『君主論』で、権力をもつ君主は目的を果たすためには手段を選ばないとして、権力が一番大事だとし、非道徳的な手段の行使を権力の獲得、増大、維持の技術として、暴力(軍隊)の集中を説いた。これらはマキャベリズムと呼ばれ、リーダーの心得でもあった。
ホッブズは『リヴァイアサン』で人間はみな自然権を持つのだが、その自然権を相互的に放棄し社会契約を結ぶことにより国家に絶対的権力を譲った、と説いた。ヴェーバーは国家を物理的暴力行使の独占を要求する人間共同体であると説き、政治は権力だとし、その手段として暴力があるとした。そして、権力を他者の抵抗に関わらず自己の意思を貫徹しうるすべて可能性と定義した。

マキャベリは争いに勝ち、支配するものが持つことのでき、非道徳的暴力行使も可能にするものを権力とした。しかしホッブズは権力は人と人が互いに自然権を放棄し、社会契約を結ぶことによって権力は国家に委譲されたものだとした。またヴェーバーは政治を行う手段として権力があり、その権力は最高のものだとした。ヴェーバーの影響を受けているので少し似ていが暴力によって国家ができるとはしていない点で違っている。


・・・実際比較してるとこはあんまり理解してないです。ごめんなさい。 あと1時間ちょっと!!どこまでできるかな・・・泣
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by ecaep_dlrow | 2005-07-28 15:05 | 授業

平和論 NO.4

次はガルトゥングという人の考えについてまとめてきます。いちお僕が一番理解してるとこ。でも期待はしないでw

1960年以降ダスグプタら発展途上国の研究者によって、戦争と平和という古典的な2分法、つまり平和に対する概念が戦争であるということに疑問が投げかけられた。その答えに ガルトゥングが暴力という概念を持ち出し答えたのである。

彼がいう暴力とはなにか。暴力とは潜在的実現状態と現実状態との格差のうち可避的なもののことである。つまり、可能性(例:先進国と途上国の平均寿命の格差の是正)と現実(まだまだ格差はある)とのギャップのうち回避できるものがあるという状態が暴力が存在するという状態だということである。この場合、暴力と呼ばれるものは時代や場所によって異なってくる。たとえば、19c以前での結核死は不可避なので暴力ではないが、現在の途上国での結核死は暴力だと考えられるのである。

ガルトゥングはさらにこの暴力という概念を暴力主体が存在するか否かによって2つに分類した。暴力を行使する主体が明確に存在し、反社会性、反正義性が明確に認識されうるもの(戦闘行為、テロ、など)を直接的主体的暴力(直接的暴力)とした。そしてもう一つとして、暴力を行使する主体が明確に存在しないもの、非対称的な社会関係、不平等な仕組みから構造的に生み出された暴力(貧困、飢餓、差別など)を間接的構造的暴力(構造的暴力)とした。ここで注意したいのは最近の傾向として、暴力行為主体の存在・不在という点だけではなく、その行為が意図的か意図的でないかという点も取り込んでいる。

《チョットぶれいく》
さてみなさんここまで理解できましたかね?
じゃあ例を2つ挙げますので直接的暴力か、構造的暴力かに分類してみましょう!!
環境破壊、放射能汚染

ガルトゥングは暴力の定義を2つ挙げた上で、平和の概念も2つ挙げた。消極的平和と積極的平和。消極的平和とは、直接的暴力の不在のことであり、積極的平和とは、社会正義が果たされた状態で構造的暴力の不在のことである。積極的平和と消極的平和とは直接的暴力、間接的暴力と同様に相互に関係している。

ガルトゥングの平和、暴力概念に対して批判的に論じてみます。彼は暴力を平和の反対の概念として定義したのだが、すると平和のための暴力、平和のための戦争はどういう風に扱えばいいのだろうか。また暴力概念や平和概念が無制限に考えることができるということには少し問題があるだろう。そして彼は戦争の不在を消極的平和としてその価値を軽視していると考えられる。
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by ecaep_dlrow | 2005-07-28 14:36 | 授業

平和論 NO.3

早速ですが、カントの永久平和のための条件について述べていこうと思います。

カントは平和を「一切の敵意が終わること」、戦争を「自然状態において、暴力によって自分の正義を主張する、悲しむべき非常手段」と定義した。そして彼は永久平和のための予備的条件として6つ挙げた。将来の戦争の種を残した平和条約を平和条約と認めない。国家を単なる土地として売買しない。常備軍の全廃。戦争のための国債発行の禁止。他国家に対する暴力的内政干渉の禁止。戦争に際して、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為を禁止すること。の6つである。そして確定的条件として共和制であること、諸国家の自由な連合制度を築くこと、そして世界市民法を普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されること、3つを挙げた。
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by ecaep_dlrow | 2005-07-28 13:44 | 授業

平和論 NO.2

平和論の導入として、まず平和学とは何かを説明していこうと思います。

まず平和という言葉の対義語ってなんでしょう?
僕は「戦争」だと思っていました。
今日、友達に聞いたら、「飢餓」と答えてくれました。

平和学では、できたころは1940~50年代だったので、始めは平和に対するものとして「戦争」と考えられ、核軍拡競争、核戦争や兵器の削減と廃絶を目指して研究されていました。第二次世界大戦が終わり、デタント(冷戦の東西緊張緩和)の時代になると、研究対象が広がります。人権、環境破壊、飢餓、貧困などさまざまな分野に広がってゆきます。そしてそれらすべてを「暴力」と呼び、平和に対するものとされました。

ということで、平和学とは何か。

『暴力の極小化を目指して、暴力の原因と平和の条件を分析、考察、追及する学問。第二次世界大戦中からデタントまでは、東西、戦争、兵器について重点を置いて研究してきた。デタント後にはそれが、南北、暴力、人権という風に研究領域が変わっていった。戦争や紛争というマクロ的なものから、個人的な対立というミクロ的なものまで領域が広がったのである。特徴としては、その時代に強く反映され、批判的姿勢、被害者の視点から、科学的に研究し、研究内容に多様性を持った学問であるということがいえる。
多様であるがゆえにこの学問は、他の既存の学問と重複している部分も多い。ということはわざわざこういった学問を作らず細分化していったらいいのではないか、という非難を呼ぶ。しかし私はいろんな学問と重複しててもかまわないと考える。細分化してしまうと、視野が狭くなる可能性がある。だから平和をその多様性を活かしながら、追求、研究することができる学問として平和論の存在価値があるのだ。』

こういう感じの論述を持ち込みなしのテストでがんばらないといけないのです。がんばります。
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by ecaep_dlrow | 2005-07-23 00:55 | 授業